先日、アメリカに引っ越した友人と話していたときのこと。
英語の先生に「アメリカはベリーカジュアル」と言われたらしく、彼女も「ほんまそうやわ」と笑っていた。
修理の人は「火曜に行く」と言って、水曜になり、結局金曜。
予定は未定。それがアメリカ。
それを聞きながら、私は思った。
アメリカがvery カジュアルならフランスは、very very (×5)カジュアルだと。
我が家にはいまだにWi-Fiがない。
設置の人が「壁に穴を開けなきゃ」と言って去っていったきり、「また連絡します」と言い残して早3ヶ月。
こちらから連絡しない限り、彼らからは音沙汰なし。
連絡しても「また都合がつけば」と返ってくる。
つまり──もう来ない、ということだ。
日本では電車が1分遅れただけでアナウンスが入るのに、ここでは5分遅れなんて誰も気にしない。
デモで突然、街中がストップすることも日常茶飯事。
フランスのスーパーに行くと、レジ担当同士で話し込んで手が見事に止まり、話終わると私に『あ、ごめんごめん、ついつい』と言って自分の番が回ってきたりする。
日本なら考えられないけど、そんなところは人間らしさが垣間見える。
でもそんなフランス人を見ていると、
「人間らしく生きてるな」と思う。
言いたいことを言い、納得しないことはしない。
日本では正確さや丁寧さが日常の美しさをつくっていて、フランスでは気まぐれさや人間らしさが日常を面白くカジュアル化している。
日本ではフレックス制の会社でさえ息苦しかった私も、いつの間にか、この“ベリーカジュアル”に馴染み始めているのかもしれない。
生粋のフランス人のベリーベリーカジュアルにはまだ程遠いが。
